今回は、
『治療では遅すぎる。ひとびとの生活をデザインする「新しい医療」の再定義』(武部貴則先生著)
という本を読んで、私の医師としての原点を思い起こさせてもらえたので、そのことについて書いてみたいと思います。
その他にも、
「こんな医療があったのか」とか、
「医療って病院で行われるだけのものでもないし、患者さん本人を診るだけでもないんだな」
など、目から鱗と言いますか、多くの学びがありましたので、ご紹介していきたいと思います。
著者の武部先生について
著者の武部先生は、プロフィールから引用しますが、
2013年にiPS細胞から血管構造を持つヒト肝臓原基(ミニ肝臓)を作り出すことに世界で初めて成功
武部貴則(2020)『治療では遅すぎる。ひとびとの生活をデザインする「新しい医療」の再定義』日本経済新聞出版
された方で、
デザインや広告の手法で医療情報を伝え、従来の医療をアップデートした概念である、「ストリート・メディカル」という考え方の普及
武部貴則(2020)『治療では遅すぎる。ひとびとの生活をデザインする「新しい医療」の再定義』日本経済新聞出版
にもご尽力されています。
人を観る医療
まず、本書を読んで、私が特に印象に残ったのが、
「人を観る医療の重要性」
についてです。
もともと私がなぜ医者になりたいと思ったかというと、
高校生の頃に疲労骨折で受診した近所の整形外科の先生が非常に温かい方で、
私の痛みや辛さをわかってくださり、すごく救われた、という体験があったので、
「自分もこの先生のような医師になりたい」と思い、医師を志しました。
※詳しくは以下の記事に書いています。
上記のようなエピソードが私の医師としての原点であるので、
医師になってからも、病ではなく、
できるだけ人を観て、
病気や怪我で辛い想いをされている方の心が少しでも救われるような診療をしていけたらな、と思ってやってきたつもりです。
ただ、実際に医師になって、働き出してみると、人を観る医療を実践していくことの難しさを実感します。
それなりに忙しめの病院に勤務してきたため、自分になかなか余裕がなく、しんどい想いをされている方にちゃんと寄り添いたくても十分には実現できない、という点において、もどかしさを感じる日々もありました。
外来をやっていても、
もっとゆっくり時間を取れたら、雑談なんかもしながら、外来ができるし、そういう外来がしたいんだけどなあ
とは思いながらも、一人当たりにかけられる時間は諸々含めて10分前後という状況の中、自分の理想とするような外来がなかなかできていない時もありました。
そんな中で、本書では、人を観る医療の重要性が述べられています。
本文中には、
「肉体性、精神性、社会性の回復」というWHOにおける健康の定義そのものを、別個のものと捉えるのではなく、より統合的・俯瞰的に回復を試みる「ヒューマニティ」の復権を目的とした医療へと変貌するものと私は予測する。そうなると、医療というのは、「病める場」としての側面よりも、「生きる場」としての意味合いがより大きく価値化されていくものと推測している。
武部貴則(2020)『治療では遅すぎる。ひとびとの生活をデザインする「新しい医療」の再定義』日本経済新聞出版
とあります。
テクノロジーが進歩し、高度な医療もどんどん登場してくる中だからこそ、これからますます人を観る医療にスポットライトが当たるようになる、ということです。
医師になってからも、人を観る、ということを意識しようとはしていながらも、忙しい毎日の中で、時には病しかみれていなかった自分。
本書を読んで、自分の医師としての原点を再確認することができました。
これを良い契機として、今後は、自分らしく医療に携わっていけたらと、想いを新たにしました。
医者っぽくない医者になりたかった
また、この本を読んでいると、学生の頃の自分の気持ちを思いだしました。
私は、医師を思志した時から、何となく、
「医者っぽくない医者になりたい」
と思っていました。
その理由を今になって考えてみたところ、その背景には、
医者ってなんだか難しいことを言って分かりにくいし、なんだかとっつきにくい
というイメージを医者に対して抱いていたからだろうという考えに至りました。
もちろん、世の中に良い先生はたくさんいますが、一方で、無表情や無愛想で、厳しいことばかり言ったり、決してフランクとは言えない医師が存在するのも事実です。
その場合、飲食店などいわゆるサービス業の店員さんと接する時とは明らかに違います。
そのため、自分は接する人が肩肘張らずに気楽に接してもらえるような、という意味で、医者っぽくない医者になりたかったのだ、ということに気付きました。
そして、自分は医師としてキャリアを重ねる中で、
どんどん医者っぽい医者になってはいないか?
という懸念も生じました。
医学的な知識や経験という面においては、当然、医者らしいものを身につけている必要があるとは思いますが、それ以外のコミュニケーションの部分においては、医者っぽくない医者でありたいと思います。
この点については、今後も自問自答を繰り返しながら、患者さんから接しやすいような医師になれるよう、日々診療に励んでいければと思っています。
この本には、患者さんにとって接しやすい医師とは、ということに関して、著者の先生の考え、いくつか事例が紹介されていて、とても参考になりました。
病院をもっとリラックスできる場所へ
また、病院やクリニックは一般的にも、リラックスできる場所ではないと思います。
むしろ、無機質で、どちらかというと緊張してしまう場所、人によっては怖い場所というイメージがあると思います。
そんな世間のイメージに一石を投じるべく、様々な取り組みをしている病院の事例が、本文中で取り上げられていました。
入り口に大きな木を置くことでリラックスできたり、生き物を院内のあちこちで飼育することで、子どもでも足を運びたいと思えるような、フレンドリーな空間にする試みがなされていたり。
無機質な待合室を安らげる場所にするために工夫した事例も紹介されていました。
医療者の目線だけでなく、患者さんやその家族の目線で、色んな角度から、自由な発想で、目の前の問題解決を図っていこうとする姿勢など、学びがありました。
こういった文脈において、
医療が病める場から生きる場へ
武部貴則(2020)『治療では遅すぎる。ひとびとの生活をデザインする「新しい医療」の再定義』日本経済新聞出版
シフトしていくという考え方はとても共感できる部分が多く、自分にも何かできることはないか、と考えてみています。
ブック・スマートとストリート・スマート
もう一つ、印象的だったのは
「ブック・スマート」と
「ストリート・スマート」
という概念の対比です。
ブック・スマートは、いわゆる「勉強ができる」、という賢さ。
でも、これだけだと、「勉強はできるけど仕事はできない」という状態になってしまいかねません。
ストリート・スマートは、学歴などは関係なく、機転が利くなど、実生活で問題を解決していけるような、頭の良さを指します。
医師は、医師になる過程で、どうしてもブック・スマート的な賢さを身に付けてしまいやすい。
そうすると、言われたことは言われた通りにやるようになり、融通がきかない、という弊害が出てきてしまう。
これでは、人よりも病を診る方向に傾くでしょう。
もちろん、ガイドラインを遵守した診療を進めたり、医療の質が均質で、一定の質を担保するためにはそういった人材を育てなければならないという側面もあるのでしょうが、
おそらく一般の人が病院や医療者に対して抱きがちな「堅苦しさ」は、ここからきているのではないかとも感じました。
ブック・スマート的な賢さよりも、リアルな現場で問題を解決していけるような、ストリート・スマート的な知性を身に付くことの重要性を痛感しました。
武部先生の学生時代のご経験が、ミニ肝臓作成につながった話
もう一つ印象に残った話があります。
武部先生は学生時代に、アメリカにご留学されていたようですが、その時に、日本人のPBC(原発性胆汁性肝硬変)の患者さんを担当された。
その患者さんは、日本では移植ができないため、肝移植を受けるために渡米されていた、と。
その時に、患者さんやご家族の辛さや不安を傾聴されるなど、精神面でのサポートにもあたられたそうですが、その時のご経験が後のミニ肝臓作成成功につながった、ということでした。
すごいとしか言いようがありませんが、あの大きな偉業が、リアルな臨床現場での患者さんやご家族との触れ合いに端を発したものであった、ということを知り、より感銘を受けました。
最後に
私にとって、『治療では遅すぎる。ひとびとの生活をデザインする「新しい医療」の再定義』は、
医師としての原点を思い起こさせてくれる、素晴らしい本でした。
それだけでなく、
「医療には色んな形の医療があり、病院でガイドライン通りに行うと検査や治療だけが医療ではないんだ」
ということを教えてくれます。
本記事でご紹介できたのは本文中のごく一部ですし、ご興味のある方には、是非おすすめの一冊です。