いつからだろう、目的がないと散歩にすら行けなくなったのは

散歩をする医師
本サイトにはプロモーションを含みます

私は、医師として現在も働いているのですが、最近、ふと気付いたことがあります。

それは、医師として働きだしてから、散歩をすることが減ったなあ、ということです。

それだけでなく、たまに散歩をすることがあっても、何か目的を持って散歩を行くことが多くなっています。

ただ当て所なく、気の赴くままに散歩をする機会は、昔に比べて減ってしまっています。

今回は、そんな気付きから着想を得て、医師の忙しさや働き方について、考えてみたいと思います。

目次

学生の頃などは、散歩が好きでよく散歩をしていた

私は、もともと散歩が好きな人間でした。

学生の頃など、ちょっと時間ができたら、よく散歩に出かけていました。

家の近所を歩くこともあれば、大学の近く、あるいはちょっと電車で遠出してから、散歩をしていました。

特に、知らないところを歩くのが楽しくてしょうがなかったのです。

目的が何かあるわけではないのですが、ただ歩いているだけで楽しかったのです。

散歩をするとその街の雰囲気や、人の感じ、建物、自然、お店など色々発見があります。

田舎などで、特に何もないところでも、歩いているだけでよかったのです。

散歩中は、周りの景色をみて楽しむこともありますし、自分の世界に入って、何かを考えることも多かったです。

何か一つのテーマについてじっくりと考えるというよりは、とりとめもなく浮かんでは消えるアイデアや考え事のタネについて、ぼんやりと思考を巡らせては次の事柄について考えていく、ということを繰り返したりしていました。

軽い運動をしていることもあって、思考も前向きになり、私にとっては、とても大切な時間でした。

医師になってからは、散歩の機会が激減した

ところが、医師になってからは、事情が変わりました。

忙しかったこともあり、散歩の機会が激減しました。

初期研修、後期研修中はハイパー気味な病院を選んでしまったこともあり、なかなか散歩の時間をとることができなくなっていたのです。

休日も丸一日の完全な休日はあまりなく、土日も一日一回は病院に行って回診をし、カルテを書いたり、オーダのチェックなどをする日々。

当然、当直やオンコールなどもありましたし、休日に仕事が終わっても、勉強することもしばしばありました。

たまに休みがあっても呼び出しやコールも多く、心がなかなか休まりません。

休日にゆっくりできる時間があっても、心も体も疲れているため、散歩をしようという気にはなりませんでした。

その後、大学院に入ってからは、病院に行くことはなくなりましたが、研究室にはほぼ毎日のように行かざるを得ない状況でした。

また、

空いている時間があれば研究のことをしなければ

という、今思えば強迫観念のようなものに取り憑かれており、スイッチを完全にオフにすることのできない日々が続きました。

そんな状況ですから、当然散歩にも行けません。

たまに散歩に行くとしても、作業が一区切りつき、まだ次にやらないといけないことはあるものの、休憩も兼ねて、

「歩くことは脳の活性化にも繋がるし」というある種打算的な目的を持った散歩になっていました。

目的もなく、散歩をできるというのは余裕がある証拠

そんな日々がしばらく続いていましたが、その後私は医局を辞め、転職もして、時間的・精神的にだいぶ余裕が持てるようになりました。

そうすると不思議なもので、また「散歩に行こう」と思えるようになってきたのです。

最近は、近所や少し遠いところにも、学生の頃のように、特に目的もなく散歩をしています。

「脳の活性化のため」とか、

「痩せるため」といった目的は持たずに、

ただ散歩したいから

ちょっと天気が良いから外に出てみよう

体を動かしたら気持ち良さそうだし散歩しよう

というフラットな感じで、散歩に行けるようになりました。

ここで、ふと思ったのは、

「ああ、散歩に行けるというのは自分に余裕がある証拠なんだな」

ということです。

また、何か行為をする度に、その行為に意味を持たせようとしていることに気がつきました。

何かをする際に、これから行う行為が、どういう能力向上につながるだろうか、と考える癖がついてしまっていました。

これは、能力向上のためにはある意味では良いことなのかもしれませんが、別の観点から言えば、堅苦しい、窮屈な生き方です。

振り返ってみれば、子どもの頃はそんな難しいことなど考えずに、ただ遊びたいから遊ぶ、ゲームをしたいからゲームをする、というシンプルな思考回路でした。

それが、いつの間にか、おそらく医師になる過程で徐々に、無駄を省き、目的に沿った行為のみを選択するような習性を身に付けてしまっていたのです。

これに気が付いた現在では、できるだけ、自分の心の赴くままに、やりたいことをやるようにしています。

そうすると、余計な力が抜け、柔軟に、気楽に毎日を過ごすことができます。

最後に:余裕を持とう。仕事が全てではない。

本記事をお読みの医師の皆様は、散歩に限らず、ぼーっとする時間や、目的もなく、何か自分のしたいことをする時間を持てていますか?

仕事だけが人生の全てではありません。

人は、仕事をするためだけに生まれてきたわけではないと思います。

人生を楽しむことが大切です。

なかなか余裕がなく、日々しんどい思いをされている方は、可能であれば、一度ゆっくり休みをとって、考えてみられるといいかもいいかもしれません。

どうしても休みをとることも難しい場合は、職場を変えたり、働き方を変えてしまうのも一つの手です。

いつの日か医療者が、皆余裕を持ちつつ、自分らしく働き、自分の人生を大事にできるようになることを祈っています。

  • URLをコピーしました!
目次