医局の圧力により後期研修で希望の病院に行けなかった話【体験談】

医局の医師と後期研修医
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あなたは、後期研修先の病院は決まっていますか?

もしくは、後期研修はどのような病院で行いましたか?

これから、私の「後期研修で希望の病院を伝えるも、医局の圧力に屈し、大学に幽閉された」体験についてシェアしたいと思います。

大なり小なり、似たような体験をされた方も多いかもしれません。

医局とは世にも奇妙で、恐ろしいところです。

それでは、早速見ていきましょう。

目次

卒後3年目で大学病院に入るまで

まず、大学病院に入るまでの略歴を簡単にご紹介したいと思います。

私は、初期研修は市中病院で行いました。

初期研修を終え、後期研修を経て、卒後5、6年目あたりで大学院に入ることを漠然と見据えていたので、3年目は大学に所属することを選び、3年目の研修先は市中の関連病院ではなく、大学病院になりました。

いずれは大学院に行こうと思っていた

私は臨床を続けていきたいと思っており、研究医になりたいわけではなかったのですが、なぜ大学院に入りたいと考えていたかというと、主に以下のような理由からです。

・大学院で研究をすることで、科学的・論理的思考力を高めることができ、臨床に戻ってからもその力を生かすことができると思っていた。

・専門領域について、基礎の知見から深く、広く理解していることで、臨床をしていく際の物事の見方が変わる。患者さんへの説明の際にも、わかりやすく、説得力が増す。

他にも理由はありますが、主にはこんなところです。

教授になりたい、とかは全くありませんでした。

4年目は外の病院で後期研修をしたいと思っていた

そして、3年目は大学病院での研修になったので、4年目は大学以外の外の病院で研修をしたいと思っていました。

というのも、後期研修を大学病院で、かつ、1つの病院でしか研修をしないと、

「経験が偏り、幅広く、そして深みのある診療能力・対応力を身に付けられないのではないか」

という危機感があったからです。

後期研修医は専門領域については学び始めたばかりで、まだまだ一人前とは言い難く、

スポンジのようにどんどん知識や臨床のノウハウを吸収していける時期に、偏った経験しか積めないのは自分の今後の医師キャリアにおいてマイナスだろう。

と考えていました。

もちろん、それだけでなく、まだ1-2ヶ月しか働いていなかったにも関わらず

自分には大学病院は合わない。

と感じていたからです。

大学病院は大きく、硬直化した組織であるが故に、臨機応変に、スピーディーに物事を進めることが非常に難しいと感じていました。

「マニュアルを守ること自体が目的化」しており、

「そもそもなんのためにそのルールがあるのか?」などと考えるような人間にとっては漏れなくストレスフルな毎日が待っています。

大学病院では思考を停止させることが精神衛生を保つ唯一の秘訣のようでした。

ですので、4年目は外の病院で”伸び伸びと”診療経験を積みたいと考えていました。

3年目の夏までに4年目の後期研修先を決めないといけなかった

私の場合は、3年目の夏頃には4年目の進路を決めないといけない、という状況でした。

3年目の4月から大学病院で研修を始めたばかりなのに、夏にはもう翌年の進路を決めないといけないのです。早いですね。

これから後期研修の方や、進路を決められる方は、早い段階から情報収集をしたり、今後の進路について、

どういった病院で研修をしたいのか」や、

どういった能力を身に付けたいのか」等、

自分の考えをある程度まとめておくといいかもしれません。

迫りくる権力者Xの魔の手

4年目は外に出たいなあ

と漠然と考えていた3年目の6月のある日、

医局の人事担当の先生(以下、X先生とします)がつかつかと近づいてきて、こう言いました。

先生、ちょっと早いけど、来年から大学院はどうかな?

先生なら臨床もしっかりやっていて大丈夫そうだし、4年目から院に入っても大丈夫だよ。

この言葉を聞いて私は、

あ、来年人足りないんだな

と直感的に察知しました。

というのも、大学院生の1年目は病棟業務なので、大学院1年目が少ないと、病棟が回りません。

だから、なんとしても私を大学院に入れたいんだろう、と思いました。

それに、この人事担当のX先生は、人を自分の思惑通りに動かしたい時だけ人を褒める傾向にある、ということもわかっていました。

本人は私らの前に人参をぶら下げているつもりなんでしょうが、この人参、腐っています。

まだ専門領域のことは学び始めて3ヶ月程度でしたし、そのX先生の日々の私への接し方から、私のことを「臨床は大丈夫」と思っていないことは明らかでした。

とりあえずその場では、

・・・いやー、できれば来年は外の病院で研修をしてしっかり臨床力を高めたいんですが…もう少し考えさせてください。

と返事しました。

ここで、

4年目で大学院に行きたくないならはっきりNOと言えばいいじゃないか!

というご意見の方もいらっしゃるでしょうが、当時の私としては、1~2年は外の病院で研修をして、5年目か6年目で戻ってきて、大学院に入りたいと思っていたので、この人事担当である、医局の権力者X先生との関係性を悪化させるようなことは言いだしづらい状況にあったのです

そのため、やんわりと外の病院に行きたいことを伝える程度にとどまりました。

今思えばですが、自分の進路や決定権を自分以外の誰かに握られていては、人は弱いものですね。

後期研修先の意中の病院探し、そして、相思相愛に

何としても4年目も大学病院で研修を続けることを避けなければいけない

そう思った私は本格的に後期研修で行きたい病院を探し始めました。

外の病院を探していると、臨床力が非常に高く、教育にも力を入れられている先生(以下、A先生とします)が近場にいらっしゃることを知り、そのA先生のもとで研修をしたいと思うようになりました。

そのA先生は、私が志していた専門科の臨床的なtipsやピットフォールについての書籍も出版されているような先生で、その書籍は非常にわかりやすく、

この先生のもとで学びたい!

と思いました。

善は急げ、ということで知り合いの先生を辿ってコンタクトを取り、そのA先生と、A先生のもとで研修をされている先生方にお話を聞かせていただくことになりました。

A先生の病院での診療体制や後期研修についてお話を伺ったのですが、そのお話の中で、特に印象に残ったのが、

臨床においては主体的に方針決定を行うことができる。考え方がしっかりしていれば、その方針を尊重してもらえる。

 ただ、困った時は気軽に相談できるし、一日に少なくとも2回は相談のチャンスがある。

・ほぼ毎日夕方に、A先生がその日の外来を一人ひとり振り返りつつ、考え方やどうしてそういった臨床的判断を下したか、をレクチャーしてもらえる。

・先輩方が非常に優秀な方が多く、専門領域の知識だけでなく、総合力の高い先生が多い。

・毎週抄読会を行っており、「批判的に論文を読む」とはどういうことかを学ぶことができる。

という点でした。

大学病院では後期研修医は良くも悪くも”守られて”おり、主体性を発揮しづらい環境といえます。

上級医や教授など上層部の意向を汲みながら検査や治療を進めていかざるを得ないシーンも多いのに対して、A先生の病院では主体的に方針決定に参画していけるという点が良いと感じました。

また、知識は書籍等でも学ぶことができますが、臨床の”できる”先生から、思考過程を学ぶことのできる機会はあまりなく、後期研修を始めたばかりで、当時大学病院にいた私にとっては非常に魅力的に映りました。

もちろん、実際に能力を高められるか否かは自分の姿勢にかかってくるとは思いますが、学びたい人間にとっては絶好の環境だと思いました。

その場で来年研修をさせていただきたいとお伝えしたところ、先方にもこちらの熱意が伝わったのか、幸い、A先生に「来年おいでよ」と言っていただき、無事内定となりました。

Xからのメールは突然に

メール

無事、外の病院への内定を獲得した矢先の3年目の夏頃、突然、医局の人事担当のX先生から1通のメールがありました。

それはもう、ラブストーリーくらい突然でした。

4年目の進路についてのメールでした。

そこには、なんと、

教授から、先生は4年目は大学院に進学する許可が出ました。

もう一年しっかり病棟をやれば、臨床力としても問題ないだろう、とのご判断です。

出願書類を準備して期日までに提出して下さい。

と書かれていました。

私は目を疑いました。

二度見どころではなく、八度見くらいしました。(※注:ちょっと盛っています)

「来年大学院に行きたい」なんてこれまで一言も言ったことはなかったのです。

それなのに、「許可が出ました」とあたかもこちらが大学院に行きたいと言っていたかのように、そして、大学院に入ることが既成事実かのように伝えてきたのです。

しかも、

決めたのは教授で、自分ではない

というXのアピールがひしひしと伝わってくる文面です。

自らの手は汚さない、いかにも狡猾なXらしいやり口です。

これはまずい

そう思った私は、

その日のうちにメールでX先生に、

・来年はA先生の病院で後期研修をして、院に入る前にしっかりと臨床力を高めたい。

・すでにOKもいただいている。

という内容を丁寧に伝えました。

ちなみに、そのA先生の病院は、私が3年目で所属していた大学の明確な関連病院ではないのですが、過去にその病院で研修をされた先輩もいます。

縁もゆかりもない病院に急に行きたい、と言った訳ではありませんでした。

それに、その医局では、大学院に入るまでは正式な医局員ではないため、進路に関して希望を出すことは可能なはずでした。

結局、その日は返信は来ず、翌日を迎えます。

病状説明用の個室でXに脅された

ここからがこの話のクライマックスです。

翌日、いつも通り病棟で仕事をしていると夕方、人事担当X先生が現れ、

先生、ちょっといいかな?

と、病状説明などで使う病棟の個室の面談室に連れて行かれ、密室で二人になりました。

そこで言われた言葉の数々は衝撃的すぎて、未だに忘れることはありません。

こちらに付け入る隙を与えないように、Xは矢継ぎ早に”口撃”を繰り出してきました。

先生、来年大学院に入っとかないと厳しいよ。

再来年に大学院に入りたいのかもしれないけど、再来年はすでにたくさん優秀な希望者がいるから、先生の枠はないかもね。

もし入ったとしても、教員のマンパワー的に指導できないから、〇〇君みたいに、お願いしてちょっと遠いけど、よその研究室に行ってもらうことになるかもしれないしね。

仮に当科で研究できたとしても、将来性のある、いわゆる”当たり”の研究テーマってのはたくさんあるわけじゃないから、そういうテーマが誰に与えられるかは競争になるんだよね。

競争になった時、先生が他の院生の子と闘えるのか?ってところはあるよねぇ。

メジャーな疾患の研究は他の子がやってます、先生にはマイナーな疾患が研究テーマとして割り振られたとしてもそれは〇〇大学がやってます、ってなったらどうかなあ。

何か意味のある結果を出していくのは厳しいんじゃないかなあ

あんまり言うことを聞かない子をいじめないようには気を付けるようにはしているんだけど…再来年大学院に入るって言うなら、なんともねぇ…(遠い目)

Xは語気を荒げるわけではないものの、まくしたてるように脅し文句を繰り出してきました。

来年大学院に入らないなら、再来年意向に入りたいと言っても大学院には入れないよ、入れたとしても干すよ。

と言ってきたのです。


それに、「君だと闘えない」という言葉は、ちょっと前に「先生は大丈夫だから」と一定の評価をするような発言をしていた人の発言とは思えません。

二枚舌とはまさにこのことか、と実感しました。

卒後3年目で、将来的に大学院に行きたいと考えていた私は、その時はなす術がありませんでした。

これは反論しても無駄だな…

これは、私を大学院に入れる、という結論ありきの話であって、話し合って解決する可能性のある問題ではない。

と悟りました。

当時は4年目で院に行くのは不本意でしたが、気持ちを切り替え、日々最善を尽くすことにしました。

臨床力に不安は残りましたが、

今の環境で研修をしながらも臨床力を最大限高めるにはどうしたらよいか?

を考えるようになりましたし、

足りないものはまた補えばいい

と考えることにしました。

というより、そうするしかなかった、と言った方が正確でしょうか。

今思うと、医局の闇に早く気付くことができた、という点では悪いことばかりではないのかもしれません。

また、後々わかったのですが、

再来年は希望者がすでにたくさんいて枠がいっぱいだ。

という話も真っ赤な嘘でした。

むしろ、ちょっと足りないくらいでした。

まとめ:これから後期研修の進路を決める人はよく考えて

以上が、私が経験した医局に脅されて後期研修で希望の病院に行けなかった話です。

もちろん、世の中には色んな医局があるでしょうから、全ての医局で進路に関してこのようなトップダウン式の意思決定がなされているわけではないとは思います。

ただ、私が所属していた医局のように、旧態依然とした、白い巨塔を彷彿とさせる医局が一部未だに存在するのも事実です。

人事担当Xは医局員を一人の人間として扱っているようには見えません。

医局員のことは”将棋の駒”くらいにしか思っておらず、駒を動かすように、意のままに人を各所に配備するのです。

一人ひとりの気持ちなどお構いなしです。

駒は使い捨て(ディスポ)で、たまに成ったら「おぉ!ラッキー♪」ってなもんでしょう。

私のことなど、

こいつは指示すれば桂馬みたいにぴょんぴょんとどこへでも飛んでいくだろう」とでも思っていたのかもしれません。

最後に、今回、私はXを糾弾したくてこのような体験をシェアしているわけではありません。

特に、進路を考えている方、後期研修で入局を考えている方に、

「こういった世界もあるんだ」ということを知っていただきたいのです。

自分の進路は、自分でよくよく考えて決めることをおすすめいたします。

「どんな医師になりたいのか」

「後期研修に何を求めるのか」

「どんな人生を送りたいのか」

などなど。

もちろん、進んでみなければ選んだ道が自分に合うか否かはわからないので、「もし合わなければ辞める」くらいの気構えで進んでみるのもアリだとは思います。

著名な作曲家である阿久悠さんの言葉に「人生は第二志望で成功する」という言葉もありますしね。

医師は、働こうと思えば割とどこでも働けるので、その点は大きなアドバンテージだと思います。

人は、余計な苦しみを味わうために生きている訳ではないはずです。

もちろん、何か明確な目標を達成するためであったり、自分の納得した道を進む過程で生じる苦しみはある程度は不可避だとは思いますが。

今回のこの記事が少しでもあなたの参考になれば嬉しいです。

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